当吉祥姫ホームページの関連のメンバーさんで秋田県在住“趣麗”さんからのご投稿です。
日頃何気なく傍観している遺跡発掘の生々しくもリアルで為になる体験記だと感じました。
当サイトご覧の皆様にも参考になろうかと思いアップさせていただきました。(吉祥姫)

(掲載期間:2001/12/8--)

遺跡発掘体験記(2001年12月7日ご投稿)

場所:秋田県仙北郡西仙北町寺館
名称:常野遺跡
年代:推定4000年から3000年前(縄文中期)

11/12
 秋田県埋蔵文化財センターによる、調査発掘が開始される。
 朝、指定された集合場所に集まった後、指示により、更に奥へ移動。
 大沢郷東小学校を駐車場に、そこから更に300 メートル程歩く。
 センターが用意したプレハブ小屋にて、現場監督から作業に付いての指示を受ける。
 作業に使う道具などが、搬入され、作業開始。

 あいにく、初日から雨に見舞われ、地面は泥と化していた。雨合羽、長靴、軍手に、センターが用意したヘルメットを着用し、現場へ向かう。先に重機で掘ってある、深さ約1 メートルはあろうかと思われる、現場に踏み入れる。
 まずは、壁を移植べらで、平に削って、地層を出す。重機で掘った後は土が降り被ったり削られたりして、地層が隠れてしまっているらしい。
 雨が降り注ぐ中、粘土質の地面は泥濘と化し、歩く事すら容易では無い。若い者が\100合羽で作業をしていたが、すぐにボロボロ。彼女はどうも、この仕事を甘く見たらしいが意外にもハードなのである。安物の合羽で作業、など無謀である。完全装備であっても、雨を含んだ泥を掻き分けての作業は、半端でない程汚れる。さすがに翌日、彼女は合羽の上下を新調してきた。更に、長時間同じ姿勢での淡々とした作業は、身体中、ビシバシ痛くなる。日頃の運動不足がたたったか、たかが発掘とあなどることなかれ。
 移植べらの先端で、金属音のような何か引っ掛かる音。丁寧に掻き分けてみると、石コロだったり、或いは石器や土器である可能性がある。しかし、発見したからと言って、すぐに採り上げてはならない。職員が、発見した場所を明記し、図面を引いてからでないと採り上げる事はできない。歴史の真実性、それを確認してからでなければ、捏造の疑惑が起こる可能性があるらしい。かの宮城で起きた捏造事件。発覚すれば、再調査等の手間がかかるし、何より信憑性がなくなりかねない。難しい事はわからないが、とにかく遺物をみつけたら、職員に報告。
 次々と奥の遺跡があったであろう場所の壁を削る。どんどん先に進めば、プレハブ小屋が小さくなる。そう簡単にトイレにも戻れなくなる程、遠くなる。途中、休憩も入るのだが、不思議と尿意を催さない。寒い中、外仕事にもかかわらず、だ。だんだん戻るのが面倒になったのだろう。監督さんは、途中で行きたくなったら、遠慮せずに、と言ってくれるのだが。当然だが、野ションなど御法度である。かと言って、監督さんがきつい人かと言えばそんな事はない。すごく気さくでおおらかな人種で、話し好き。本業は小学校の社会科の先生で、当然ながら、歴史については物凄く詳しい。土器の破片が一個見つかっても、縄文談義をしてくれる。

11/13
 前日よりは晴れ間も見える。室内でばかり過ごしていたので、これほど外の景色を見る事は実に久し振りだった。
 遠くの山を越えれば、秋田空港がある。何しろ、発掘現場まで自宅から片道20キロもあるのだ。地図でみれば隣町にも見えるが、実は結構遠い。
 遺跡のあった場所は、田畑のようだ。発掘作業の横で、地元のおばちゃんが、畑仕事に精を出している。民家もあるし、現場以外の他人の私有地への立ち入りは禁止されているので、畑を踏んだりしてはいけない。
 土器のかけらが壁に食い込んで刺さっている。一つみつかると、周辺では次々見つかる事もある。監督さんいわく、「恐らく土器の捨場では?」縄文人は土器や鉄器を捨てる際に、割ったり曲げたり、いわゆる壊して捨てたらしい。すなわち、「生まれ変わる」、再生を意味したのではなかろうか。何となく判らなくもないが、「土に帰す」という古来からの言い伝えみたいなものかも知れない。話が反れるが、パワーストーンも、使う理由がなくなれば、清浄な土に埋めたり綺麗な海に戻してやる。それと同じかも知れない。土器にしろ鉄器にしろ、物には命があるもの、と信仰されていたのかも知れない。(勝手な憶測?)不自然に欠けた石などは、祈祷に使われた可能性が高いのだという。昔は、天災でも疫病でも、祈祷に頼っていたらしい。
 午後になり、強風の為、作業が中断する。遺跡発掘作業は天候に左右される、シビアな仕事でもある。

11/14
 天気予報通り、深夜未明より雪が降り始めた。案の状。路面がうっすらと白くなっている。雪の降り始めはスリップする・・・スタッドレスタイヤに交換してもらい、いつもの時間に出勤する。こうなると、やっぱり、である。みんなが慎重に走るので、ノロノロ。おかげで、道路は渋滞。おまけに途中から吹雪に変わったので、視界が最悪。ついでに通勤ラッシュアワーのトリプルパンチ。遅刻寸前!ところが、行ってみれば、雪のため作業が出来ず、小屋で晴れるのを待つ事に。遺跡の撮影には、足跡、木の枝、葉、その他人工に作られた物が入ってはいけないという。更には、雪が降っている最中も駄目で、周囲の雑草なども刈り取る必要があるのだそうだ。
 晴れ間を見て作業開始。まずは昨日まで掘った場所の雪を掻き出しながら、地面を平に慣らして行く。足跡を付けないように、一方方向に進めて行く。赤土が出ている所まで掘る。逆に、夏場などの埃がたっている状態も駄目らしく、その時は水を蒔いて、ウエットな状態にするそうだ。多分、写りが良くなるのだろう。
 1時間程経ち、またしても雪が降り始めて、再度中断。雪が邪魔して計測も作業もままならない。引き上げようとしたら、白鳥の群れが・・・外で仕事をしていると実に様々な物が見られるものだ。遠くの山は紅葉し、じつにのんびりとした環境である。
 赤土の地面を削っていくとところどころ、黒いシミのようなものがある。縄文時代中期の集落跡との事で、恐らくは住居の柱があったのではないかと推測される。また、縄文人の平均寿命は3 、40歳で、当時は孫の顔など見ることはなかったそう。いわゆる核家族だったようだ。特に女性の出産は大変だったらしく、御符など女性用の道具がいろいろあるらしいのだ。今のようにラマーズ法もなかっただろうし。
 この頃は、食料に捕獲された動物は鹿などで、穴を掘って底に鋭利な木の枝を仕込んで落とし穴を作って捕まえたそうだ。ギャートルズの世界はもっと昔の旧石器時代あたりであろう。
 また、この頃の人々は、ドングリを加熱すると苦みがなくなる事を知っていたらしく、火を使った跡のある土器が出土している。私も実際、黒く焦げた土器を見つけて、改めて縄文人の智恵に驚かされた。その周辺には、炭も残っていて、土器が火を使う為に考案された事も教わった。縄状の模様があるので縄文との説も・・・また、当時から既に、燻製の技術もあったらしい。住居跡から煤のついた天井も見つかっているそうだ。
 石器に漆を塗って保護する方法もあったらしく、その頃から既にコーティングの技術があったとはこれまた驚きである。中でも貴重な黒よう石(オブシディアン)の石器は男鹿の洞窟で見つかっているというけれど。一度見てみたかったなぁ。ついでに琥珀とかも。

11/15
 この日も雨がぐずつく。遺跡の調査もかなり奥の方まで来た。何と、向こう側は、初日に集合場所だった所。もうプレハブ小屋は、見えない。プレハブに帰るのは昼食の時位のもので、休憩時間は、各自草むらで座ったり、煙草を吸ったりしていた。行って帰ってくるだけで休憩時間が終わってしまう程遠くに来てしまったので、いちいち帰るのが面倒になったに違いない。それに、掘られた穴の数々をみれば、よくやったなぁ、と感心してしまうのである。そりゃ身体は痛くなるし泥ンコになって、土木作業並みの仕事なんだけれど、土器をみつけたり、発掘をしていくたび、いろいろ勉強にもなるし、深みにハマっていくから案外楽しい。
 後は重機で掘り上げた土の中を調べる。もしかしたら、その中にも土器とかの破片が入っているかもしれないからだ。午後になって、久々の快晴だったので、土もそんなに重くなる事もなかった。ホント、土砂降りの時なんて、長靴に重りをくっつけて歩いている様なものだった。おまけに、ほっかむりをしてヘルメットをかぶり、全員ロボコップ状態。
 隣で作業をしていたTさんが、何かを見つけた。一瞬、歓声のようなものが沸き上がり全員が、土器の破片らしき物体に釘付けになった。大きさ約10センチはあっただろうか。
 みんながいろんな憶測を出し合う。そこへちょうど監督さんが通りかかったので早速、物体を鑑定してもらうことに。その結果、何と、まぎれもなく本物の土器。しかも割れ目がピタリと合う。同じ土器の破片か?
「これは大きさと厚さで、土器の底ですね。」
それからというもの、その周辺からは、出る、出る、出る・・・まるで宝探し状態。
 監督さんから聞いたお話。県埋蔵文化財センターで今年の5月から8月にかけて鹿角の「芝内館遺跡」の発掘調査をしていたそうである。場所は花輪、人骨が出る事で珍しがられているという。8体程発掘され平安時代のものと江戸時代のもの、その他多数との事。それにしても、風化もせず、形もしっかり残っていたのには職員さんも驚いていたっけ。人骨は、というとその後、専門家によって鑑定、宅急便にて埋蔵センターに送られ、調査中のようだ。恐らく、DNA 鑑定などをすればもっと詳しい事がわかるんだろうけれど。

11/15
 最終日。何だかこの日で作業が終わってしまうと思うと、ふと寂しい気持ちになる。元々、私達は5日間という契約で参加しているので、仕方無いけれど。遺跡発掘って、こんなに奥の深い物とは・・・
 顔に泥が付こうが不格好だろうが、自然の中で歴史の勉強が出来た事は大いなる収穫であった。書籍やテレビ、インターネットでの情報も大切だが、何よりも自分の手と足とで土器に触れ、土に塗れ、遠い昔の歴史に直に触れられた事は、とても貴重な体験だった。今の様に、物が有り余っている時代とは違い、彼らが生き延びる為の智恵は、我々の創造を絶する事もあり、むしろ見習うべき事もあるように思えた。
 もし、縄文人に出会う事が出来たとしたら・・・彼らは今の時代を見て、何と思うであろうか。
 プレハブ小屋で雑魚寝するのもこの日が最後。オド、アバ達(発掘に参加した人達。監督さんは男性をまとめて「オドサン方」、女性をまとめて「オガサン方」と呼んでいた)と、たった5日間だったけれど、いい思い出になった。
 この遺跡は、再び重機で、埋め戻しされるそうだけど、来年の5月連休明け頃から、本格的に調査に入るらしい。今回は確認の為の発掘という事だったが、次に調査が入れば、今回以上に、未知の部分が見えてくるに違いない。最後に見つかった「板状土偶」。かなりはっきりした形であるが、他の部分も見つけられれば、かなり大きい物と推測される。乳房があるので、女性を模した物であろう。来年の本調査で、他の部位がみつかれば・・・是非とも、繋ぎ合わせて、その全貌を見てみたいものである。

                                2001.11.23 趣麗


 私が体験した出来事を、日記形式で、書いてみました。
 中には、専門家に言わせれば、違う事もあるかも知れません。
 写真などは、あいにくありませんが、大体を想像していただければ、と思います。
 どうにも、表現力に欠け、説得力な欠けますが、何卒御了承下さい。