20世紀最後の当局関連の遺跡探索です。現在の東京湾が古代江戸湖(えどうみ)だったころ
ここは湖中腹。いったいここで何が行われていたのでしょうか。
あの石は一度滑落して、再度設置されたものだと言われますが真実は何処に…
21世紀も「十和田高原」「天の浮船」の不思議探査は続きます…乞うご期待

2000年12月16日房総班暴走大会…快晴

笠石山道にてビデオを撮る謎の男(後含)

笠石手前にある祭壇石。まさに祭壇です!

宇宙人設置説もある、かの有名な「笠石」

座石と笠石の奇怪な接点です。まさに奇跡です

笠部分の石。その巨大さがわかると思います

笠石脇にある今まさに切断される直前の岩

笠石の背後です。まさに断崖絶壁

妙なレリーフ(浮彫)が気になる区域です

突如の巨石。頂上からは大パノラマが広がります

危険そうに見えますが、写真をとれるほど→

余裕の場所なんです。ほかはもっとゾッとしますよ

笠石登り口にある恐怖の渓谷。ここはまじで危険

笠石近くからの遠望。まさに風水の理想郷

いよいよ「三石観音」。この妖姿は圧巻ですね。

「祈りの布」の向こうは大平洋でしょうか

山頂に鎮座していたのはたぶん小角だと…

三石観音.断崖の回廊で吉祥姫を追う謎の長髪の男

回廊の側面は全域こうです。夜は恐いと思います

自然の紋様とは思いながらも激しいレリーフ紋様

最後の探索地.船塚山。これはあきらかに古墳?

以上23点の写真が玲音なんからご提供いただきました。どれもこれも、冒険心をかきたてる不思議な写真だと思います。
関東近郊にお住まいの方はいつでも訪問できますし、また、ご案内いたします。
今度は皆さんの目で確認し、インスパイアーしてください。

ここはまさにレイライン。今も高圧線が立ち並ぶ

黄泉の国への滑走路?見るからに不思議な光景

世紀末房総暴走大会 東京湾海底遺跡関連「笠石」調査

平成12年12月16日 手塚 肇

 明日みんなに会うのだと思うと寝付かれなくて朝、五時に起きてしまう。
 船橋にちょっと早く行って待ち合わせ場所を確認してコーヒーでも飲んで待ってようと家を6時半にでた。
 今日の調査は東京湾海底遺跡の関連と思われるドルメン「笠石」。それに巨石がご神体の「三石観音」。時間があれば「船塚山」と行き、最後に船橋に戻り反省会である。
 メンバーは秋田県鹿角市出身で吉祥姫ホームページのサイトの管理者でミュージシャンの吉祥姫(きっしょうひめ)さん。良く間違われるそうだが男性である。
 そしてまだ28歳とお若い玲音(レノン)さん。彼も最初、女性だと思っていた。
 そして「闇の日本史」ホームページで知り合った宮毘羅(クビラ)さん。
 残念なことに体調不良のため欠席となったがやはり「闇の日本史」で知り合った紅一点の謎の女性、星羅(セラ)さん。
 今回は吉祥姫さんのお誘いで二ヶ月前から入念な計画の上?に開催された。吉祥姫さんは11月にも与那国島海底遺跡の調査に参加されたばかりである。

 やはり早く行けば早く着いてしまうものでJR船橋駅には7時に着いてしまった。
 吉祥姫さんの指示通り北口を出た左のポストを探す。
 駅を出てみるとすぐ右にポストがある。左には無い。どんどん行ってみる。駅から二百メートルほど行くとポストがある。なんで近くのポストを指定しないでこんな遠くのポストを吉祥姫隊長は指定したのであるか?うーん。読めない。何か深い理由があるのか?携帯に電話してみる。「いけね。右でした。わはははは」そうごく普通の誤りであった。他意は無い。しかしこのままずっとあそこで待ち続けミイラとなり風化してしまったかもしれない。玲音さんにも連絡を入れる。「ふにゃふにゃああそうですか。解りました」これで玲音さんもミイラ化を免れた訳である。 しかしまだ七時である。集合時間まで一時間ある。寒いので今度は凍死の心配がある。どこかコーヒーでも飲むところは無いのか!無い。どこにも無い。京成船橋まで行くと踏切を渡ったとこにマクドナルドがあった。そこで時間をつぶす。
 さて集合時間が近づいてきた。オフ会で顔を合わせるのは全員初対面である。吉祥姫さんはミュージシャンである。頭はチャパツにロンゲでメーキャップなんかしてビジュアル系だったりして、、
 玲音さんは若いと言うことである。ひょろっと背が高くてだぼだぼのズボンを腰で引っかけてはいていてうんこ座りをしているのであろうか?もう一つ気になることがある。先ほども書いたが二人は女性的なハンドルネームを持っている。もしかして、、、「あらあてっちゃんすてきい」「なによてっちゃんはわたしのものよん」と二人ともオカマだったら、、、どうしよう。山奥でおそわれるううう!想像をたくましくしているとポストの前に案の定、うんこ座りをしている若者がいた。もしかしてと思った矢先、後ろから眼鏡をかけた若者が声をかけてきた。「玲音です」なんと以外にも知的な面もちの若者。毛も真っ黒。ロータリーでは白い車から手を振っている人がいる。吉祥姫さんだ。なんだ意外と普通の人じゃない。両人とも過剰な想像をしていた。しかし自分はどういう風に見られているだろう?
 吉祥姫さんの車に僕が前、玲音さんが後ろに乗った。空はピーカンである。京葉道路に入り、宮毘羅さんとの集合場所、君津駅を目指す。道路はすいていて早い時間に君津に着く。でもまだ十時には早い。「でもここ北口ですよ。宮毘羅さんとは南口で待ち合わせですよ」「じゃあ宮毘羅さんの携帯に電話をして北口に来てもらいましょう」自分たちが間違っておいて。しかし多勢に無勢。宮毘羅さんの携帯に電話をすると「あと5、6分でつきます。北口にまわります」なんていい人であろう。
 駅前で三人でうだうだしていると駅から若い女性が手を振ってこちらに来る。「こんにちはあ こんにちはあ」とにこやかに近づいてくる。欠席のはずだった星羅さんが突然、具合が良くなり集合場所に来たのだ。と思いきや我々を通り越し銀行に入って行った。周りの人みんなに挨拶をしている。「ただの挨拶フリークではないですか?」玲音さんは冷静に言っている。そうか挨拶が趣味の女性らしい。しかし紛らわしい。
 すると薄いブルーに白のワゴン車がロータリーに入ってきた。宮毘羅さんだ!「こんにちは宮毘羅です」お年から見て若く見える。僕と同い年だが僕は老けてみられるのだ。「でも体調が思わしくないのですよ。山道は無理かな」と宮毘羅さん。「せっかく来たのだから、山道の入り口くらいまで行きましょうよ」と吉祥姫さん。「そうそうビデオに紫之さんのメッセージを撮ってきました」と僕が紫之さんのビデオを披露する。「紫之さんは確かに女性だけれどこれ男の子?」紫之さんと写っているお子さんの事である。「女の子ですよ」と僕。記念撮影をして最初の目的地「笠石」に向かう。
 山道をうねうねと1時間も走り脇道を入る。なにか道は怪しくなってきた。「ここが入り口だ」と吉祥姫さんは車を降り土地の古老と話をしている。「うん。鉄条網があってフェンスに電気を流しているんです」と吉祥姫さん「え?」「猿がね、いるんですよ。ここ果物の栽培しているから猿避けです」と車を空き地に駐車して四人で山道を登る。宮毘羅さんは杖を持って山道を登る。
 結構、傾斜がきつい。しばらく登ると「笠石」の立て札がある。突然、宮毘羅さんが「うーん紫之さんとか猫ばす堂さんとかあのくらいの年の女性は寛大でいいなあ」とのたまう。なにが一体どうしたのだ?玲音さんはしきりにうなづいている。謎だ。なにかあったのだろうか?しばらく登ると見晴らしがだいぶ良くなって来た。でもまだ登るようだ。「もうこの辺で引き上げますよ」と宮毘羅さんがリタイアを表明した。腰が悪いし喘息も心配なので無理は禁物である。再会を約束して宮毘羅さんは山を下りていった。
 ここからが結構大変だった。道はどんどん狭くなり歩きにくくなる。山は馬の背の様になり右も左も切り立った崖である。天気はいいのだが風が強い。ビュービューと音を立てて吹いている。「千葉で山から転落で死亡なんて記事はみっともないですなあ」と吉祥姫さんが言うと「猿よけの鉄条網で感電死ってのも乙なもんですね」と玲音さん。しばらくアップダウンを繰り返し行くと前を鉄の門がある。猿よけのゲートである。吉祥姫さんは針金をほどいてゲートを開く。結界を破った思いだ。
 ここからは中位の加工痕がある石がごろごろとしている。「ここだっけなあ」と吉祥姫さんはブッシュに入る。「いやこの先だ」と戻って来て先を進むと「これです」左の上を見上げると真っ青な青空に巨石がでんと据えられてあってその天に向かった突起に三畳もあろうかという平たい石がのっかている。写真で見たことがあるが、実際に見ると大きい。文章だと解りにくいかも知れないが頭のとがった人が頭にまな板を乗せているような感じである。安定感が無い。道から結構上にあるので崖を登って見る。なんと石は崖っぷちに立っているのだ。下を見ると足がすくんだ。「笠石」の下と上は明らかに違う石だ。安定感は無いが触ってもちょっとやそこらでは動かない。「だれがこんなことしたのですか?」「宇宙人だと言う説がある」「クレーンでも無ければこんな事出来ませんよ。それに山の上にクレーンなんてもって来れないから、、うーん」どう考えても不思議だ。
 人の手でやったら30人くらいの力では出来ないだろう。専門的に言うとドルメンと言うのであろうか。がけの下から見ると「笠石」はなにかの印に見えるはずだ。吉祥姫さんはこのような石が東京湾の海底にあるという。海底の隆起がこの場所を山にしたのであろうか。一方は海の底にもう一方は山の頂上に、、、この界隈のちょっと散策をする。似たような感じの岩があちこちにある。おまけに道はまるで屏風の上を歩いているようだ。三人は見晴らしの良さそうな崖の上に立ち景色を見回した。風が強く吹き飛ばされそうだった。
 「笠石」も景色を見下ろしている。車の所まで下りていき次は「三石観音」を目指す。途中で吉祥姫隊長がライブをやったことがあるという「森のレストラン.ヒルトップ」というレストランでカレーライスを食べながら吉祥姫さんの持ってきた資料を見る。プレイボーイの記事。そのほか与那国島海底遺跡の調査の写真。どれも興味深いものばかりだ。レストランから「三石観音」まで40分くらいだ。やはり車で山の上まで行く。「ここは寺と言うより要塞です」と吉祥姫さんが言う。確かに密教系の寺院は要塞色が強い。車を降りて寺の方に歩いていくと巨石の門。山門をくぐると本堂の後ろに岩が見えてきた。本堂の後ろにくっつくように巨岩がある。大きいと言ってもこれほど大きいものは滅多にない。小山が山の上にあるようである。こんな光景は僕の実家の近くにある群馬の「榛名山神社」で見たことがある。こちらは神社だがやはり長い参道の先、とがった巨岩がご神体であった。巨岩の脇から階段で登れるようになっている。岩の周りをぐるっと回るようにして登るとなんと岩の上には祠がある。役の行者を祭ってあるという。ここも山岳宗教と神仏混合の名残がある。車まで戻ると鳥居に気がつき「ここが大山祇命のご本尊である」との立て札がある。吉祥姫さんは以前来たときに鳥居の先を登ったのだが行き着けなかったそうである。一体何があるのか興味津々である。
 時計は三時を過ぎ、そろそろ戻らないと六時の船橋での懇親会には行き着けない。久留里の城下町を抜け途中「船塚山」に行く。小さな立て札に「船塚山」とある。 とにかくまた車で山道を登る。黄泉の国に行く行者がお参りに来るそうだ。何やらおどろおどろしい。山の上にぽつんと神社がある。鳥居まで広い空間が延びている。と言うと参道があるだけでは無いかと思われそうだが参道と言うより飛行機の滑走路のようだ。「ここは黄泉の国に行く行者が参拝に来る所なのですよ」吉祥姫さんは言う。「この鳥居の前は黄泉の国に行く空飛ぶ船の滑走路ですかね。花見の名所でもある」そう言えば滑走路と思わせる空間の周りには桜が植えてある。景色もいいし絶好の花見どころである。神社の奥の森に「船塚」があったのだが今は見つからないと言う。神社の境内には石塔が立ち並び白い紙が張り付けてある。何か経文のようなものが書いてある。全体の印象として何か空間がねじ曲がったような不思議な雰囲気の場所であった。
 船橋での反省会の前に吉祥姫さんのお宅に寄る。閑静な住宅街にあり音楽教室もかねているから建物も大きい。吉祥姫さんの執務室(楽器とコンピュータの部屋)でひと休みしているとピアノのレッスンの途中の奥様が現れた。お若く見える。「あれでも僕より年上なのですよ。子どももいないし逆に子どもの相手をしているから若く見えるんですよ」と吉祥姫さんは笑っておられた。部屋で環太平洋学界の資料などを見せて頂いてからバスで反省会場の中華料理店まで行く。
 「バス代は70円ですね。確か」70円?異様に安い。僕の学生時代の料金だ。船橋はバス会社に補助金を出しているのか?と三人とも70円を払って乗る。しばらく走るとバスの前の料金表を見ていた玲音さんが「ああやっぱり170円だ」と、、吉祥姫さん始め何の罪の意識もなく乗ってしまうから帰って全然警戒をされなかったのだ。「久しぶりにバスに乗るから、、わははは」と吉祥姫さん。
 お店は中華料理店とは思えない作りだがウエイトレスのチャイナドレスがそれを感じさせる。「僕、海老かに駄目なんです。それに下戸なんです」玲音さんは若いのにストイックだ。僕の東北や佐渡や山陰に行ったときのアルバムをお見せしたりして話に花が咲く。千葉に来て一年半、ネットを通じてやっと仲間が出来たようで嬉しい。本当に今日は楽しい時間を過ごせた。今日の「笠石」や「三石観音」を思い浮かべながら思った。僕はどうしてこのようなものに惹かれていくのだろう。誰かが意図的に作った巨大なモニュメント。古代人はなにに思いを馳せてつくったのであろうか。それが何かは解らないけれども圧倒的な存在感で我々に何かを語りかけてくる。大阪万博の時の「太陽の塔」を思い浮かべた。あれが何十世紀も経て偶然に発掘されたとしたら未来人は何を思うだろうか。古代や遺跡を追う僕は結局、自分は何者でどこから来てどこへ行くか突き止めたいだけなのだと思う。巨石や遺跡などを見る度に無意識にその謎が解きほぐれていくような気がするのだ。またどこか怪しいところへ行く企画をしよう。

おしまい

写真提供:玲音さん

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