西日本最大の縄文水系祭祀遺跡/宮崎県田野町「本野原遺跡」取材記

スタジオ吉祥姫 田中正勝

以下は私が実際に現地を取材してその実体を新聞に寄稿したものです。ご参考にしてください。


西日本最大の縄文遺跡『本野原遺跡』想像図 Graphics/スタジオ吉祥姫

想像図製作のポイント

1.円形劇場風のスタジアム形態の遺跡。
2.住居跡などは比較的スタジアムの外側に存在する。
3.サークルスタジアム中心付近に祭祀組石と思われる石が存在。
4.スタジム中心に向かって迫り出したような高層建築物(神殿タラップ)の存在。
5.神殿タラップは同地域の水源でもある聖なる山「鰐塚山」を遥拝する。

■あきた北新聞社/13年12月14日付記 より

先日全国の主たる新聞、テレビ/ラジオニュース、で大々的に報道され全国的に脚光を浴びた宮崎県田野町の本野原(ほんのばる)遺跡。現地取材をしその意外性や実体を確かめようと私(田中正勝=スタジオ吉祥姫代表)は今月11日−13日までの3日間、当地(宮崎県田野町本野原遺跡)を取材、当初の予想をはるかに上回る巨大な祭祀場の実体を取材することができました。

今回の取材は東京の大手出版社光文社のバックアップによるものでフリーのルポライター有賀訓氏との同行で実現されました。一連の調査取材は現在考古学学会はもとより“西日本最大級”と衝撃的なタイトルで公開された「本野原遺跡」ほか、昨年(平成11年1月)に国の指定史跡に指定された縄文時代早期前葉と呼ばれる約9500年前の住居遺跡「上野原遺跡」、全国の風光明美な史跡などを対象に指定される「風土記の丘」の全国第一号に選ばれた「西都原(さいとばる)古墳群」など南九州の大規模遺跡をまわりその雄大さとともに北国に華開いた「十和田高原」一帯の古代/縄文文化・文明との違いや共通点などを自分の五感で直接感じることができました。

中でも当初からの目的であった本野原遺跡に関しては遺跡全体が全国にもあまり例がないすりばち状の特種構造の集落になっており、さながらローマの円形劇場を思わせる不思議な形態をとっていることにあります。遺跡中心が周囲よりもなだらかに下がっており中心に向けて傾斜になっている奇妙なスタイルです。また、その一画には山内丸山の見張り小屋を上回る規模の巨大高層建築物の柱の跡と思われる痕跡が発見されており、サークル状の集落遺跡に食い込む様にその巨大建築物が建てられていた構造になっています。

そしてその巨大建築物は遺跡の西南約6キロにそびえる鰐塚山(1118メートル)を向いて上方に傾斜されていたかのような光景を想像することができます。鰐塚山は現在の田野地域を含む周辺区域一帯の重要な水源ともなっており、山岳祭祀の意味とは区別したとしても名実共に水源を確保するための重要かつ聖なる山です。さらに遺跡西端には鰐塚水系の泉が湧いていたという伝承(田野町教育委員会発表)もあり、まさに鰐塚水系を聖域と考える本野原の縄文の人々の祭祀思想が伺える素晴らしい遺跡でした。

考察の角度を変えて私の音楽家という立場で遺跡を見回すとさらに新しい発見があります。それは先述の中心に傾斜を持つスタジアム形状を持っていることで集団生活に最も重要な肉声での情報伝達がとても円滑に行われるという特徴が浮上します。肉声は音波であり音です。音は空気中で基本的には上から下に伝達されます。つまり高い所から低い所に良く聞こえるわけです。中央/中心にあるものへの伝達が必要な場合にスタジアム形態の建築物はとても有効に機能します。また別の例で見ればピラミッドのような物の頂上からの情報は下方向に良く伝播します。

この点から考えても情報伝達の行為そのものよりも情報発信者と受信者の数的な配置がピラミッドなどとは全く逆の構造になります。身近にその例を探すと野球場などの劇場もそうですが、さらに身近を見ると行政会議などの会議室です。また、その議場におおいかぶさるように配置された巨大建築物。そして聖山でもある鰐塚山との関連配置…これらのことから本野原遺跡の中心部は祭祀/祭事遺跡である可能性が極めて高いと感じます。

古代邪馬台国が九州(※邪馬台国九州説の場合)全土を女帝卑弥呼の呪術をよりどころに地域一帯を治めたことを思うとその数千年も前に本野原の台地に山と水と祀りごとを生活の中心にした祭祀遺跡があったことはむしろ当然のことのように思え、その遥かなる古代の営みに夢を馳せました。