report.01=2003/4
ルポライターA氏からの超超貴重な超古代レポート

ついに発見!これが失われた大陸「アトランティス」だ!

プラトンの言葉は本当だった! 地中海西端ジブラルタル海峡で本誌が見たものは…… 2003年4月緊急レポート

失われた謎の文明といえば、その代表格は「ムー大陸伝説」と「アトランティス大陸伝説」。そのうちムー大陸の正体については、これまで何度も「与那国島海底遺跡」との深い関係をレポートしてきた。残るはアトランティス大陸の謎解きだが、なんとこちらも驚くべき真実が急浮上! その所在地がついに解き明かされたというのだ!

取材・文/有賀 訓

幻の大陸は、ジブラルタル海峡西の海底に!

 誰もが知っている「アトランティック・オーシャン(大西洋)」という呼び名は、ひとつの古い言い伝えから生まれた。それは、はるか大昔、広大な大西洋のどこかに天変地異が原因で沈んだという「失われたアトランティス大陸伝説」である。
そして最近、そのアトランティスについて驚くべき新事実が明らかになった。なんと、最大の謎だった所在地が正確に突きとめられたというのだ! 
 その場所は、地中海最西端の「ジブラルタル海峡」付近。深さ50数mの海底だという。
 これまでにWPBは、何度も「与那国島海底遺跡」の特集記事をレポートしてきた。その取材活動に協力してくれたひとり、フランス人ジャーナリストのエマニュエル・シャニアル氏が、この大スクープ情報の提供者だった。 世界各国の海洋考古学に詳しいエマニュエル氏は、最初にこう説明してくれた。
「ことの発端は、2001年6月にフランスの伝統ある科学専門誌『アカデミック・サイエンス会報』に掲載された学術論文でした。
 論文執筆者は、エクサンプロバンス大学のジャック・コリーナ・ジラール教授。地質学と先史学、ふたつの博士号をもつジラール教授は、世界各地の古代神話と地質学の両面から慎重に研究を進め、“アトランティスはジブラルタル海峡の間近に沈んでいる可能性が高い”という、まったくの新学説を発表したんです。
 さらに昨年11月には一般向け科学誌『科学と生活』に、“その位置はジブラルタル海峡のすぐ西側”と具体的に述べて、大きな反響を巻き起こしています!」
本当なのか? WPBはエマニュエル氏を通じて、ジラール教授本人にコンタクトした。そして交渉の末に提供してもらったのが、日本国内はもちろんのこと世界でも初公開の「アトランティス位置図」だった。
仏海軍の精密測量海図をベースに作られたこの図は、地中海西端部にヨーロッパ/スペイン側とアフリカ/モロッコ側から陸地がせり出した、ジブラルタル海峡付近を拡大したものだ。
 最も狭い南北20数キロの海峡を大西洋側へぬけ出た辺りに、アトランティスの水没海域がある。そこには周りの平均海底深度(約130m)よりも100m近く高まった場所が、いくつか示されている。つまり、今は海の中に隠れた島々である。
「その中央に位置する海底島(東西約14km、南北5km、水深約56m)を、ジラール教授は最も近いモロッコ側の岬名にちなんで“スパルテル”と名付けました。そして、このスパルテルこそ、失われたアトランティスの中心地だったと推理しているんです」(エマニュエル氏)
 正直にいって、拍子抜けする思いがした。こんな場所に、幻のアトランティス大陸が眠っていたのか!?

プラトンは正確にその場所を記していた!

ヨーロッパ諸国では、15世紀の大航海時代に入ってアトランティス論争が爆発的に盛り上がった。多くの科学者や知識人、探検家たちが、その所在地について自説を発表した。
 たとえばシェークスピアは大西洋の中央部に沈んだ島だと考え、戯曲『テンペスト』を書いた。同じくイギリスの哲学者フランシス・ベーコンの場合は、アメリカ大陸そのものがアトランティスに他ならないと主張した。
 19世紀には、ジブラルタル海峡から西へ数百km離れたカナリヤ諸島や、大西洋北部に浮かぶアゾレス諸島こそ、失われた大陸の残骸だという説が有力視された。また20世紀に入ってからは、ドイツとフランスの地質学者たちが提唱したサントリーニ島説が脚光を浴びた。約3500年前に巨大火山噴火で陥没を起こしたエーゲ海のサントリーニ島が、アトランティス伝説の発祥地だというのだ。
こうして時代が経つほどアトランティス候補地は数を増し、今では全世界で87か所にも達している。
ところが、まさに灯台元暗し。本当のアトランティスは、無数の船が行き交う地中海の玄関口に人知れず眠り続けてきたと、ジラール教授はいうのだ。
 その最大の根拠となったのは、やはりプラトンの著作『クリティアス』と『ティマイオス』に残されたアトランティス関連記述だった。
 古代ギリシャの哲学者でソクラテスの弟子にあたるプラトン(紀元前428年?〜347年?)は、アトランティスの位置や、そこに栄えていた古代王国の姿などをきわめてリアルに書き残した。その結果、過去2千年以上にわたって数多くの人々がアトランティスの実在を信じ、水没位置についてさまざまな説が唱えられてきた……。
 紀元前4〜5世紀頃に生きたプラトン自身も、アトランティスの実物を見たわけではなかった。10数年間にわたって地中海各地を旅行し、そのときに聞いた遠い過去の話として記録に残したという。しかもプラトンより約2百年前に生きたアテネの賢者ソロンが、古代エジプトの都市サイスに住む神官から教えられた伝説だと前置きしている。
 それによると、アトランティスが存在したのはプラトンの時代から約9千年前。実に今から約1万1千年前のことだった。場所は、古代に“ヘラクレスの柱”と呼ばれたジブラルタル海峡西側の海上。その陸地には当時の地中海地域で最も文化レベルの高い王国が栄え、運河が張り巡らされ、多くの巨大石造建築物がそびえる大都市があった。そして強大な軍隊を各地に派遣し、ヨーロッパ、アフリカにまたがる広い領土を支配していた。
 そうしたアトランティス王国の周辺領土のひとつに、“ガデイロス”という地名が登場する。これは現在のスペイン南部カディス(ガデス)地方らしく、ジブラルタル海峡を西に抜けてすぐの大西洋に面している。つまり、このガディロスも、アトランティス=シュパルテル海底島説を裏付ける有力材料になる。またアトランティスの周辺には他の島々があったと書かれ、これもジラール博士が公開したジブラルタル海峡西側の海底地形図と一致する。
 さらに決定的なのは、〈アトランティスは港のように狭く、ゆったりとした流れの海の中にあった〉と、エジプトの神官が証言していることだ。そうしたジブラルタル海峡周辺を示す具体的なプラトンの記述を無視して、後代の研究家たちは失われた大陸の幻影をヘラクレスの柱のはるか彼方に追い求めてしまったようだ。
 ただし、ここで解決しなければならない問題点がひとつある。多くの読者がお気づきのように、スパルテルは伊豆大島(約15×8km)よりも小さな島だ。アトランティスは、“大陸”ではなかったのか? 
 実は、この点についても理にかなった説明ができる。まずプラトンは、アトランティスが広い領土を占めていたと書いているが、それは本島だけでなく支配地域全体を意味していた可能性が高い。そもそも繁栄と豊かさを意味する“大いなる土地”という表現を大陸と誤訳したのは、19世紀末のアメリカ人研究家ドネリーだった。
 もし今でもスパルテル島が海上にあれば、面積の大小には関係なく、地中海の海運交通や軍事面の鍵を握る重要ポイントになっていたはずだ。
 しかし、栄華を誇ったアトランティスは、1万1千年前頃に海中へ沈んでしまった。その最期の様子を、『ティマイオス』のなかでエジプトの神官は次のように賢者ソロンに語っている。
〈恐ろしい地震と洪水が起き、あなたの都市(アテネ)の軍隊は悲惨な一昼夜のうちに地中へ落ち、アトランティス島も海中に没した。その沈んだ跡の海には泥が漂い、航行の妨げとなった〉
 1万1千年前にアテネに都市があったどうかは定かでないが、この記述には地中海全域を襲った大規模な天変地異が暗示されている。特にヨーロッパプレート下にアフリカプレートが沈み込む地中海東部地域では、前述のサントリーニ島のような激しい火山活動がくり返されてきた。
 では、地中海西部の場合はどうか?やはり地震活動は活発だが、東部と比べて火山の数は少ない。
 スパルテル島がアトランティスだったとしたら、なぜ海中に沈んでしまったのか?

急激な海面上昇によってアトランティスは沈んだ

 コリーナ・ジラール教授はスパルテル島の謎について、こう語ってくれた。
「地質学的にみるとスパルテルは火山島ではなく、爆発によって沈んだとは考えられません。また大西洋のなかで1万数千年前に大陸と呼べるような島が地殻変動で水没した可能性は、現在の地質学によって完全否定できます。
 私はこれまで、中東、ヨーロッパ、アジアなど、世界中のあらゆる地域に、海が陸地に襲いかかってきたという共通内容の神話や伝説が残っている事実に注目してきました。アトランティス伝説もまた洪水伝説のひとつで、その始まりは約2万年前の最終氷河期にまでさかのぼると考えています。
 その当時は陸地や北極に大量の氷が蓄積され、海面が現在より120m下がっていました。しかし氷河期終了とともに陸氷は溶けだし、約2万年前から5千年前にかけて急速な海面上昇が起きました。この“アトランティス時代”の初期には、アトランティスを構成する7つの島々がジブラルタル海峡西側に浮かんでいましたが、海面上昇とともにスパルテル島と西側の島(−51m)以外は、次々に水没していきました。 
 最盛期の海面上昇速度は100年間で約2.45mと推定され、当時の人間の寿命を50歳とすれば、生涯に1m以上という猛烈な海面上昇(陸の水没)を体験し、大きな驚きと恐怖を感じたに違いありません。その人類記憶が、アトランティスをはじめとした洪水伝説につながったと考えられます」
 そして最後まで残ったスパルテル島も、海中に消える運命の日を迎えた。それはジラール教授の計測では、約1万1400年前の出来事だった。つまり、プラトンが書き記したアトランテイス水没年代と、ほぼ一致する。
 この計測値が2001年6月の『アカデミック・サイエンス会報』に発表されたとき、多くの自然科学者が正確さを認め、アトランティス=スパルテル説を支持した。ジラール教授は、続けて説明する。
「このアトランティス時代に起きた海面上昇によって、世界各地でも多くの島が沈んだはずです。ところが意外にも、大西洋地域とジブラルタル海峡付近で水没した島は、スパルテルだけだったのです。その意味で、地質学者からみればスパルテルは特異な島であり、同時にプラトンのアトランティス記述が事実にもとづくならば、唯一の可能性は、スパルテル説だけということになります」
 これはもはや“決まり”というしかない! 失われたアトランティスが、ジブラルタル海峡のすぐ西側に沈んでいたという、誰もが見逃してきた真実。それを否定する材料は、まったく見つかっていないのだ。
 しかし、その大発見は、まだ日本国内では知られていない。日本の海洋地質学の専門家は、どんな評価を下すのか? 半世紀間にわたって日本の海洋科学技術開発を第一線でリードしてきた、奈須憲幸博士(東京大学名誉教授)にお話をうかがってみた。ジラール教授のスパルテル海底地図を食い入るように見つめながら、奈須博士はいった。
「ただひとこと、これぞ世紀の大発見というしか言葉がありません。
 私は、昔から大きな疑問を持ち続けてきました。これまで世界各地の古代5大文明は、5〜6千年前に突如として完成形でスタートしたように理解されてきました。しかし、それはどう考えても奇妙です。それ以前に、もっと長大な年月を経て、人類文明は熟成発達してきたに違いないのです。その私の思いは、この当時から少しも変わっていません」 
奈須博士が、“この当時”といいながら差し出したのは、『科学読売』1960年5月に掲載した「海は語る?消え去った大陸の謎」という論文だった。その末尾には、こう書かれていた。〈中略…1万数千年前から5千年前頃までの期間は、人類が水に追われて現在の海岸線まで後退した歴史を書きつづらなければならない。中略…失われた大陸は、大西洋の真ん中に存在したのではなく、案外、地中海やアジア大陸周辺の陸ダナの下に埋まっているのではないか。中略…考古学者の手によってか、あるいは地質学者の手によってか、今は史上から姿を消しているエジプト、シュメール以前の先古代文明の遺跡が浮かび上がって来る日がないとは断定しかねる情勢になってきた〉
43年前に、海洋探査技術の発達にふれながら書かれた奈須博士の“予言”は、まさしく現実のものとなりつつあるのだ!
それでは一体、失われたアトランティス=シュパルテル海底島には、何が眠っているのか!? 
 今や人類史を根本から変えようとしている、1万年以前の先史海底遺跡。ジラール教授の最新研究をまじえて、驚くべき事実を次号でレポートしたい!

上記原稿は某雑誌掲載予定の貴重な原稿です。
雑誌用の原稿ですので、本サイトで扱っていない画像や、多少表現に違和感のある部分もあるかと思います。
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