謎の美術展宇宙のエキサイティングショー

(天宮清さん撮影の宇宙自然現象/不可解現象写真展示)2ページ目へ移動
「天の浮船」フォーラムでお世話になっているUFO研究家であり、CRP(コリン・アンドリュース氏の世界的クロップサークル調査研究団体)の日本表、天宮清さんが、長年費やして撮りためた宇宙の神秘写真集です。中にはまぎれも無い宇宙もありますが、一言では説明しにくい不可解な現象の写真もあります。私ども吉祥姫ホームページでも「芸術の秋」にちなんで天宮さんが撮影した写真を借用して「謎の美術展・宇宙のエキサイティングショー」を開催します。その美しさをご堪能下さい。
 この場をかりて貴重な写真をご提供くださった天宮さんには深く御礼申し上げます(吉祥姫)

ご挨拶

 吉祥姫様のご好意により、去る2000年10月にミステリーサークルの美術展を開かせれ戴いてから4年、私は最近ようやく、自分のUFO目撃・撮影資料を整理する余裕が出来てきました。私の信条は一口で言いますと、「UFO目撃・撮影体験を通じてUFO知性に近づく」というものです。また、自分の見たものを理解するためには、多数の実例を現在過去にわたって参照する、という学習も不可欠です。皆様方におかれましても、ここに提示する写真が、特別珍しいものではなく、どこかで見たことがある、という事に気づかれると思います。そこに、UFO現象の「共通性」があります。
 ここに紹介させて戴くのは、以下の項目に該当する写真です。1.未確認飛行物体を目撃しフィルムカメラで撮影した写真。 2.未確認飛行物体を目撃しビデオカメラで撮影した映像からの写真。 3.空中、海上を観測中にフィルム・ビデオカメラに写り込んだ不明の光跡および像。 4.写真や映像が撮られた背景、撮影技術的水準、当事者の姿を示す写真。 今、モノクロ時代からの写真で、失わずに現存するネガから、パソコンのファイルに取り込んでいます。最終的に何枚の写真となるかは分かりませんが、様々な空中の神秘をお楽しみ下さい。

2004年10月5日 天宮 清

今後の処理のため、各写真に番号をつけています。ご活用ください。
なお、写真についてのお問い合わせ等につきましては
「天の浮船」にてお書込みください。
また、お問い合わせ等に関しては可能な範囲でお答えいたしますが、
内容によっては天宮さんご本人ではなく別のメンバーがお答えする場合もあります。
またご返答できない場合も考えられますので、あらかじめご了解ください。(吉祥姫)

写真のダウンロード、転載等に関しては一切お断り申し上げます。

1. 1962年6月23日夜〜24日までCBA主催の国際円盤デー15周年記念UFO観測会が筑波山にて行われ、その観測中に三脚に固定した1眼レフ50mmで撮影した星空に写り込んでいた不明の光跡。このような幅のある半透明な光跡は、その後、実際に何度か目撃している。 2.1962年6月24日の朝、筑波山つつじケ丘で、日の出の方角を注視する観測会のメンバー。

3.1962年6月23日から24日にかけて、何度か人工衛星エコーが観測された。それを、三脚に固定した1眼のファインダーで捉え、レリーズを使用して撮影したもの。 4.これも人工衛星の光跡。三脚に固定してはいるが、夜間で足元が不安定なため、カメラブレを生じている。通常、風船衛星エコーは、木星ほどの明るさで見られた。

5.1975年8月頃、京都府綴喜郡の中心山荘に滞在中、屋上にて観測し、何度か顕著なUFOを目撃したが、撮影には至らなかった。そうした観測で撮影した星空の写真に写り込んでいた不明の光跡。当時の記憶が明瞭でないが、光跡と共に星もいくつか平行に写っており、カメラが三脚に固定してある事を示している。 6.京都府綴喜郡の中心山荘屋上の観測現場。深夜、一人で観測した。

7.京都府綴喜郡の中心山荘屋上から撮影した夜景。三脚に固定しバルブで露光したので、山の上の光が大きく写っている。 8.1975年8月ころ中心山荘における天宮清。当時31歳。

9.1969年の火星接近時に、東京田端の自宅前に三脚を立て、火星を135mmで撮影。火星像の近くに未知の光の移動が写り込んでいた。 10.1970年7月12日、同志と共に車で紀伊半島を縦断、熊野の神武天皇上陸記念碑を訪れた時のスライド写真に写り込んでいた円像。色はオレンジ。

11.1970年7月13日、同志と共に鯨の町太地を訪れ、の海中にある「太鼓岩」と呼ばれる人工的な印刻のある岩を確認した。同心円が認められる。 12.1982年9月16日から17日にかけて、不知火海を見渡せる海岸で徹夜の観測を行った。そのときの観測陣。

13.1982年9月17日深夜、カラーリバーサルで海面を撮影した中に、不明の光跡が写り込んでいたものの1枚。陸地に近い空間で複数の光源が動いたと見られるが、懐中電灯によるものではなさそう。 14.1882年9月日深夜、ネガカラーで長時間露光した写真に写り込んでいた不明の光跡。手前から海面に向かう3つの光源が認められる。

15.1982年9月17日未明、参加者全員の記念写真を撮る間、カメラを空に向けて三脚に固定。その間に写り込んだとみられる不明の光跡。カメラが下を向いて地上光を捉えたにしては動きが複雑すぎる。 16.1983年2月、同志と共にインド・コナラクのスーリア寺院を訪問。撮影したリバーサルで撮影した1枚に写っていた丸っぽいもの。鳥とも考えられるが参考までに。

17.スーリア寺院の軒下に写っていた丸っぽいものを拡大した写真。じつは「太陽神スーリアの寺院では、回転するUFOを撮ってみたい」と意気込んでいた。 18.1985年1月2日、新年の挨拶を葛城山でしようと家族で出かけた時、最寄の前栽駅で細い雲を見つけて撮影した写真に写っていた4個の影。個々の形を大きくみせるため、3個しか見えてないが、雀の編隊かも知れない。

19.1985年4月、同志一行とエチオピア難民UFO事件の調査に赴いた時、アジスアベバとハルツームの間の空路で見かけた単独の雲状物体。楕円形で美しいが、雲かも知れない。 20.1985年4月、砂漠を走行し、スーダンの難民キャンプを訪れていた時、ワドカオリ付近でUFO状の雲を認め車中から速写したもの。帽子のように見えた。

21.1985年4月、スーダンの難民キャンプを訪れたとき、小さな紳士達が集まってきて、我々に握手を求めた。 22.1985年4月、雨で道路が壊れたエチオピア南部で、道路工事をするメンバー。中央が天宮清。

23.1987年11月22日、勤務先の社内旅行で山梨へ向かう途中、駒ケ岳の上に現れた光体を即座に撮影した。 24.光体が消える直前の2枚目。旅行から帰り、会社の社長にこの写真やUFOの写真を見てもらい、それ以後、私がUFO研究家だということが知られるようになった。

25.肉眼でも機影は見えず、光だけの飛行であった。最初のコマの拡大。 26.2個に分かれているように見える、2コマ目の拡大。

27.1988年1月1日午後1時過ぎ、天理市杉本町で新春観測会の最中、真北に現れた物体。赤、青などカラフルなので凧だと思った。 28.撮影はアサヒペンタックスMEに200mm装着。2コマ目は三角形の本体に3つのライトが見えた。それは東に移動していた。

29.4コマ目は棒状に長く、最初の1コマ目に似た形状と赤い色彩が認められる。 30.5コマ目は急激に光が強くなった瞬間を撮影。6倍双眼鏡で観察の志麻は「ジェット噴射のようなものが見えた」と言う。

31.6コマ目。仰角がやや低くなった。下方に影があるように見える。 327コマ目。空飛ぶ円盤を縦にしたような形に見える。

33.8コマ目は面積が最も小さく、白く丸い形となる。 34.9コマ目。仰角を下げ、山の稜線に接近してきた。

35.10コマ目は山の稜線にかかり強く輝いた瞬間。山の向こうに隠れるか、手前に来るか、固唾を呑んで見つめる。 36.11コマ目。物体は山の手前に来た。一個の白い小さな物体に変化。2つに分かれた白い光となり、最初の頃の色彩が見られない。

37.12コマ目。物体は一定の進入角度を維持して再び輝き、2つの白い光となり、最初の頃の色彩はもう見られない。 38.和邇下神社の森にかかる13コマ目。純白の光は次第に小さくなった。

39.1960年頃の天宮家。倉庫の屋根に天体望遠鏡を設置し、従兄弟達と交互に月面を観察していた。 40.1961年8月30日夜、初めてオレンジ色の円盤状光体を弟と共に目撃した。これはその時に弟の壮吉が撮影した出現直後の状態。光体左上から移動光跡が見られる。

41.1987年5月5日午後6時40分、天理市杉本町で家族3人で観測中、西の空から接近し我々の頭上を通過して雲に隠れたエンジ色の円形物体。6枚連続撮影の1枚。 42.1991年5月5日午後6時30分、天理市杉本町で家族3人で観測中、北から接近する楕円形の黒い物体を発見し、8ミリビデオカメラで撮影を開始した。

43.1991年5月5日の映像続き。バッテリー切れで時刻表示が消えていたので、間に合わせで表示した。 44.1991年5月5日の映像続き。物体は縦楕円から半透明のドームが出っ張ってきた。物体はやがてハート型になり、最後に扁平になった。

45.1989年11月5日正午から3時40分頃まで、万博公園において計5回も白い球体の出現に出合った。青い空に、陰影のない白い球体がゆっくり水平に移動。 46.1989年11月5日の白球。白い雲を背景に、より白く、光っているように見え、静止状態からゆっくり動きだした。

47.1989年12月10日午後3時頃、カメラに残ったフィルムを使い切るために、妻と杉本町の農地に出た時、白鷺のそばに光体を発見し撮影した。 48.1989年12月10日の光体。静止状態で、オレンジ色で円形、卵形と変化した。

49.1991年6月2日早朝、兵庫県稲美町の麦畑に出来たミステリーサークルを撮影した写真に写り込んでいた不明の光体。撮影は乾達也氏。 50.1991年7月13日福井市下江守の水田に出来たミステリーサークルの変化を写真に撮ったところ不明の光が写り込んでいた。撮影は東力康純氏。

51.1991年9月7日午後6時半頃、熊本県千束蔵々島で不知火観測の準備中、近くの海面を移動する白い物体を妻が発見。8ミリビデオカメラで撮影を開始した。 52.1991年9月7日の海中物体。生きているようにめまぐるしく形を変えた。ある時は、海面から盛り上がって見えた。

53.1991年9月7日の海中物体。同じ様なものが同じコースを3度通過した。暗くなると、発光しているように白く見えた。 54.1991年9月7日の海中物体。妻が双眼鏡で観察中、物体の上の空間に発光する粒子が見え、それがビデオにも映っていた。

55.1991年9月29日午後3時頃、松原市の山野氏と天理の天宮が黒く丸い物体を撮影した。これは両者の映像を比較したもの。乾達也氏による編集画像。 56.1991年9月29日午後3時30分過ぎ、天理市上空で軌道飛行する黒色球体を16倍ビデオカメラで撮影した画像。

57.1991年11月17日、八尾空港で航空機の観察と撮影を行った時、赤外線フィルムに写り込んでいた黒い円像。 58.1991年11月17日、八尾空港で航空機の観察と撮影を行った時、赤外線フィルムに写り込んでいた黒い円像。UFOに関係あるかは不明。

59.1991年11月17日、八尾空港で航空機の観察と撮影を行った時、2台のビデオカメラに写り込んだ移動する発光体。(左下方) 60.1993年7月15日午後、札幌発大阪行ANA772便に搭乗の天宮ユキが、富士山付近で形の整った湾曲した雲を見つけ、連続撮影した1枚。

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